シリコンバレーとイノベーション

2016年5月、シリコンバレーへ訪問する機会を頂いた。世界を動かすような破壊的イノベーションがなぜこの地から生まれるのか?肌で感じたことを2回シリーズでレポートしたい。

シリコンバレーの起業家は、日本の企業の創業とはまったく異なる価値観の元に起業している。日本の起業家の多くは、今日の飯を食うために「今のニーズ」を追いかける。しかし、シリコンバレーの起業家は、短期的な収益など見向きもせず、5~10年後の未来に向けてどんどんトライする。大きなリスクを伴いながら果敢にチャレンジする。こうした文化が、未来の形をどんどん創造し、波を創りだしたものが大きな飛躍を遂げていくのだ。「Uber」は未来のタクシーの形を、「AirBnB」は未来の宿泊の形を創造した。

この背景には、失敗を重ねた起業家を評価する独特な風土が存在する。毎年1万社が生まれて1万社が死んでいくシリコンバレーでは、ベンチャーキャピタルからの出資や大手企業によるM&Aで資金を集め、それを元手にサービスをスケールする。この資金調達の過程が根本的な違いを生み出している。投資家は起業家と同じリスクを共有し、まさに二人三脚で事業を育てていく、その風土が新しいチャレンジを生み出しているのだ。起業家は、ひとたび出資を受ければ、ベンチャーキャピタルを最大限使いまわす。「顧客を紹介しろ、新規を何件取ってこい!」とかなりオオチャクに感じるアプローチを行う。それほどの神経がないとのし上がれないのだ。

ただし、シリコンバレーではベンチャーキャピタルと簡単に名刺交換さえしてもらえない。興味がなければ名刺を切らせたと断られ、その直後に別の起業家と名刺交換をするのだ。そのため、起業家は必死にアピールをしなければならない。VCから資金を得るにはそれなりのプラン、バイタリティ、スキルを持ち合わせていなければならない。会社の業績や資産状況がそこそこで、経営者が保証人になればお金が借りられる日本とは意識が違って当然なのである。

また、もっとも強く感じた違いはアメリカのベンチャー企業で働くの方々は、とても楽しそうに仕事をしていることだ。自分たちの仕事を希望と夢を持って熱く語る。そこに恐れは感じない。日本の経営者、社員さんも必死だ。しかしその中身は、売ることに必死、生き伸びることに必死、失敗を恐れ、恐怖と闘っているようにも思える。

この日本に「仕事って楽しい!人生は最高だ!」と心から語れる人がどれくらいいるだろうか?そのマインドこそがこれからの日本を活性化するイノベーションの源泉なのではないだろうか?

シリコンバレー

シリコンバレー


努力は天才を超えるか? Part2

以前のコラムで「努力は天才を超えない」ということについて持論を述べた。努力は万能ではないので、自分の強みを活かした実る努力をしなければならないという趣旨である。現実社会では、実る努力もあれば、残念ながら実らない努力もある。そんな中でも私が体験した努力の成果について書き留めておきたい。

1)努力の継続は様々な能力を育てる
中学高校の6年間、人里離れた山の中で野球だけに明け暮れた私は多くの能力を身につけた。「忍耐力」「粘り強さ」「肯定思考」「習慣化」など、数え上げればキリがないほど成長することができた。そしてそれらの能力が、経営者としての精神を支えている。

何かに没頭し、突き詰めた人だからこそたどり着ける境地がある。努力を通じて手にした能力はあらゆる場面で自らを助け、決して自らを裏切らない。

2)手放す勇気と強さが人生を好転させる
たとえ好きな事とはいえ、それを継続するのは並大抵ではない。そうして突き詰めてきた何かも、いつかは手放さなければならない時が来る。自らモチベーションの源泉を断ち切るには勇気と強さがいる。努力によって身につけたものを捨て、新しいステップに進むことによって、皮肉にもその努力が好転を始める。

ピータードラッカーは、「不採算事業を撤退すると決断した瞬間に、そこで培ったノウハウが別の事業に好影響を与え有意義なものに変化する」と言っているが、人間も個人もまったく一緒なのである。

3)努力なき所に真の自立はない
人が実社会において最初に目指すべきものは自立である。どんな人も親の加護を離れ、たとえ一人になっても社会生活を営んでいける自立した大人に成長を遂げなくてはならない。そこにたどり着くまでには、幾多の壁を越える必要がある。

「壁」とは、今の自分では素通りすることができない事象であり、「努力」とはその壁を超える術を学び実行できる実力を身に着けるまでの過程である。そうして、昨日できなかったことが今日できるようになること、今日できなかったことが明日できるようになることを「成長」という。努力は人を成長させ、自立した大人にする。

「努力は天才を超えない」。わたしにとって興味が尽きないテーマである。


攻撃は最大の防御と言えるか?

「攻撃は最大の防御」という格言がある。

元々は、戦争に関する格言で「防御なくして攻撃なし」というドイツ軍人の言葉が、後の総理大臣「山縣有朋」が、知ってか知らぬか誤訳してしまったものが広まったと言われている。

「防御なくして攻撃なし」と「攻撃は最大の防御」は似て非なるものである。この両者を経営的な視点において、どちらを正しい格言として捉えるのか?を考察してみたい。

まず、「攻めの経営」とはどのような経営であろうか?一般的には「積極投資」である。新商品開発、新市場への進出、店舗出店、異業種への参入など、スピーディーに展開し、市場シェアを拡大する経営と言える。

方や「守りの経営」は、投資を控え内部留保を増やし、人財を育成し、定着率を高め、人や仕組みの成長と共にゆっくりと手堅く展開する経営である。

この考え方を、先の格言に果てはめてみる。

「防御なくして攻撃なし」・・・強固な基盤がなければ積極投資などできない。組織は内部から崩壊すると言われる通り、まずは地盤固めが重要なのは言うまでもない。

「攻撃は最大の防御」・・・もたもたしていては、どんどん状況は悪化する。積極投資によるスピーディーな展開こそが自社を強くし結果として地盤を固めるのである。

いずれも一理あり。これを見て皆さんはどちらを信奉するだろうか?

もちろん、その会社のステージや状況によって選ぶ戦略は異なることは言うまでもない。まさに「風林火山」である。

この2者択一を論破している書籍がある。「ビジョナリー・カンパニー」である。ここでは「andの才能」という言葉で表現されている。偉大な企業は「orの抑圧」をはねのけて、見事にそれを両立させるのである。

「攻撃も防御も」。この壮大なテーマに望むことこそが経営なのかもしれない。


努力は天才を超えるか? Part1

「努力に勝る天才なし」という格言がある。人生における努力の重要性はあえて語る必要もないほど多くの人に浸透している。しかし、「努力は天才を超えるか?」という問いに迷いなく「超える」と答える事ができるだろうか?私はこの問いに対して明確に「超えない」と答える。こんな事を言うとすぐに努力否定論者のように扱われ、努力信奉者から一斉攻撃を浴びることになる。

私は高校時代、野球の名門と言われた明徳義塾高校で甲子園を目指し、日夜厳しい練習に励んでいた。100名を超える部員の中にあって、レギュラーになれるのはほんの一握り、ベンチ入りでさえそう簡単ではない。その中にあって、他人と同じ事をしていては絶対に追いつけないと早朝、夜間の自主トレーニングを365日1日も欠かさず続けた結果、何とかベンチに入ることができた。その時の喜びは今も忘れられない。

しかし誰よりも努力をしたと自負する私と同じポジションに、甲子園で2本の本塁打を放ちヤクルトに入団した同級生がいたのだ。近づくどころか別次元の実力を目の当たりにし、自分の才能の無さに直面したのである。そんな彼も7年間のプロ野球生活で1軍昇格は1度だけ。現在は引退しプロ野球の審判として活躍している。

私なりにやりきった感はあったが、身近にいた非凡な友人でさえ遠く及ばない実力を持つ一流選手、その中でもトップクラスの実績を出すプレーヤーを天才と呼んでも差し支えないだろう。もちろんそうした選手の多くは、やはり多くの努力をしているだろう。才能ある人間が、努力をすることで初めて天才へと昇華する。

これが、努力は天才を超えないという根拠である。これを聞くと多くの人が「努力は別の所で役に立つ」「その過程で人間が大きくなる」「体験が人を育てる」と言った反駁をするのだが、それは議論のすり替えである。「努力は天才を超える」と論破できる人はこれまで誰一人としていなかった。

私は「努力は天才を超えない」という言葉には強烈な教訓があると思っている。それは、どうせするなら実る努力をしなければならないという事である。

努力は万能ではない。同時に、自らの強みや特徴に即した努力は、飛躍的に人を成長させる。そしてそのような「天職」に巡りあうこともまた才能なのかもしれない。


フェルミ推定 ~日本に電柱は何本あるか?~

「日本に電柱は何本あるか?」

この問いに3分間で答えなければならない。調べることも出来ない。自分の頭の中にある情報を元に考えてなければならない。もちろん、googleで「電柱の数」などと検索することもできない。

このように正確な答えを出すことが困難な問いに対して、もちえる情報を元に可能な限りの仮説検証を試みる事を「フェルミ推定」と呼ぶ。

例えばお客様から「納品されるまでどれくらい時間が掛かりますか?」と聞かれたとする。そこで「解りません。」と答えてはプロとして失格である。今までの経験を武器に、必要な工数を頭の中で計算しておおよその期間を算出しなければならない。

このフェルミ推定を行う時は、「正確な結果」に注目するのではなく、それに辿り着くまでの「プロセス」を重視する。不確定な情報でそれなりの解を出す為には、完璧ではなく「おそらく」「おおよそ」「大体」というアバウトな答えを許容する必要があるのだ。

ビジネスの世界では結果は非常に大切だ。しかし、企画段階で「絶対成功する!」という正解の企画を出すことは不可能である。また、「どの企画が優れているか?」という選択基準も、その切り口や立ち位置によって異なるケースがほとんどである。

先の見えない時代と言われる昨今、フェルミ推定はこうした状況を打破するために頭の中の引き出しを開放し、可能な限り正解に近づくための強力な武器となる。この考える力は「スキル」である。スキルとは、体験経験から得た能力・ノウハウの事で、トレーニングによって向上させることが可能である。「考える力を養うツール」として社内教育に活用する事で、自社の企画発想力や即興力は必ず高まるはずだ。

ちなみに冒頭の問いに答えるためのプロセスを紹介すると
・街中の電柱の間隔からして、10平方メートル辺り○○本の電柱がある。
・日本の面積は38万平方メートル、その内○分の○が市街地だから~
などなど、各種情報を組み合わせて概算の本数を計算するのである。

こうした問いをビジネスに応用すると、「新サービスの売上予測」「ユーザー数の推移」「狙った市場と人口における販売本数予測」など、様々なケースでこの発想力が役に立つ。

そういえば、昔、この問題を出した所、数秒して「わかったーー!!」とうれしそうに声を上げ、「日本=2本の間やからゼロ本です!」と答えた強者がいた。これはこれで、マネのできない特殊な能力である。